彫刻のある風景 ~大木達美さんからの贈り物~
2010年 03月 02日
その一つ、府中市美術館のターナー展を訪れた帰り、バスを待つ間に美術館のある大きな公園を
ふらりと散歩していたらベンチでリラックスして語り合う二人に遭遇。
広い芝生の公園の、割と目立つ場所に風景にしっくりとなじんでその彫刻はあり、
撮影後、少し離れて彫刻を眺めていたら子供達やウォーキング中のご夫婦などが彫刻の隣に座り、
時には彫刻に触れたり覗き込んだりしていました。
そんな風景を見つめながら私は、彫刻家大木達美さんの言葉を思い出していました。
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”日本で新しい町作りをしていますと、昔みたいに鎮守の森のお社とか大きな杉の木がなくなって
人間が生きていく為の拠り所がなくなっているのに気付きます。
歴史を見ると、イタリアなどヨーロッパの古い国では、町の様子が変わらないために、
500年前の絵と同じように残っているのです。
こういう環境に住むと人間は落ち着くのです。
日本もいよいよ、そういう装置が必要になってきたのではないかと思います。”
”彫刻とは大変贅沢な空間を必要とします。
無理やり置いても駄目ですが、都会に生きている人間にはそういう空間がなければ
ヒューズが飛んで、イライラするばかりでしょう。
もっと心を大切にした生き方があって良いのではないでしょうか。”
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この言葉は大木達美さんの作品集「ART IS LONG LIFE IS SHORT」から引用させて頂きました。
私が大木達美さんの言葉や作品を知ったのは大木さんの奥さまkazukoさんを通じて。
kazukoさんもエキサイトでブログを書かれている縁で相互リンク頂き、
昨年初夏のkazukoさんのブログ開設1周年記念品の作品集プレゼントに応募して送っていただきました。
「彫刻にくわしくない方でもわかりやすい作りになっています」というkazukoさんのお言葉に甘えて
応募したのですが、数々の大木さんの作品と上記の二つの言葉を読んだ時に大きく気付かされる事が
沢山ありました。
時々、発展しているけれど何か寂しい街に降り立った時の荒涼感の理由に気付けたのもその一つ。
以来、国内外の街を訪れるたびに街角の彫刻や美術品を探すようになりました。
みつけるとちょっとほっとしてみたり・・・
作品集の中で、私がもっとも好きなのはこちら。
大木さんが”イタリアの母”のような存在だった方を亡くされ、病床にある人にやすらぎを与えられる
作品を制作する事を思われた時のもの。
陽に透かされた石の真ん中に神様がいるように見え、石なのに温度を感じて
目にした時は涙があふれてきました。
同時に幼少時代を過ごした街の大きな公園にあった、陽差しをたっぷり浴びた彫刻に触った時の
あったかい石の感触を思い出しました。
kazukoさんは現在大木さんの作品製作地だったイタリア・カッラーラで大木さんの作品に囲まれて
B&Bを営まれています。
2001年大木さんは53歳で他界されてしまいましたが、作品や彫刻がある空間への想いは
大きな存在として残っています。
カッラーラはイタリア料理留学時代に訪れた思い出の場所。
いつかkazukoさんと大木さんの作品を訪ね、再訪したいなと夢みています。
身近なところでは渋谷109の横で大木さんの作品に触れることができます。
賑やかな渋谷の交差点を行きかう人たちを優しく眺めているよな作品”時の化石”です。
(2009年2月撮影)
2.martedi Marzo