富士山と太宰治
2010年 11月 13日
昭和13年、井伏鱒二を訪ねて甲府の天下茶屋で執筆活動をしていた太宰。
茶屋の店先でどてら姿でお茶をすすっていたところへ、
東京からの観光客と思われる若くハツラツとした娘さん二人に
富士山を背景に写真を撮ってほしいと頼まれます。
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こんな姿はしていても、やはり、見る人が見れば、どこかしら、きやしな面影もあり、
写真のシャッタアくらい器用に手さばき出来るほどの男に見えるのかもしれない、
などと少し浮き浮きした気持ちも手伝い、私は平静を装い、娘さんの差し出すカメラを
受け取り、何気なさそうな口調で、シャッタアの切りかたをちょっとたずねてみてから、
わななきわななき、レンズをのぞいた。
まんなかに大きな富士、その下に小さい、けしの花ふたつ。
ふたり揃いの赤い外套を着ているのである。
ふたりは、ひしと抱き合うように寄り添い、キっと真面目な顔になった。
私はそれがおかしくてならない。
カメラを持つてがふるへて、どうにもならぬ。
笑いをこらえて、レンズをのぞけば、けしの花、いよいよ澄まして、固くなっている。
どうにも狙いがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、
ただ富士だけを、レンズいっぱいにキャッチして、
富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。
「はい、うつりました」
「ありがたう。」
ふたり声をそろえてお礼を言う。
うちヘ帰って現像してみた時はおどろくだろう。
富士山だけが大きく写っていて、ふたりの姿はどこにも見えない。
その翌の日に、山を下りた。
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「富嶽百景」 太宰 治 著 より抜粋
(昭和14年)
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この作品を初めて読んだのは高校生くらいだったかな?
富士だけを撮影してしまうくだりに(えーー?!)と吹き出したのを覚えています。
写真は箱根、大涌谷から望んだ富士なので、小説のシーンとは違う場所で、
富士の雪ももっと多かったでしょうね。
「富嶽百景」は66ページほどの短編ですが、
順境な時期の太宰の感性がキラキラと散りばめられていて好きな作品です。
(おまけ)
こんな富士なども。。